教師と生徒①
「まーたこんなところでタバコ吸って」
体育館の裏口。知る人しか知らないような空間というものはどこにでもある。
マユナはその場にしゃがみこんでいる女性に向けて声をかけた。
「ウゲ」
「ウゲって」
イタズラを仕掛けていたところを目撃された子供のような反応をした女性。その指には細長い棒状のものが挟まれている。
「でもほら、電子タバコだから」
「私はわりとそういうのには理解がある方ですけど、嫌煙家からしたら全部同じタバコです。喫煙所へどうぞ〜」
「ケチ」
毒づきながら火を消す。
自分より10ほども歳が下の少女相手であっても下手に出ねばならないのだ。喫煙者というのは。
「まあ、今さら私の前で控える必要はないですけど、もっとバレないところで吸えないもんですかね」
「タバコ吸うのにいちいち職員室まで戻んのダルいんだもんよ」
「喫煙所ってそこにしかないんでしたか」
「そー」
この、お世辞にも素行が良いとは言えない女性の名前は北島ミレイ。カズキやマユナが所属しているバスケ部の顧問である。
「つーか何しに来たのよ、こんなとこに」
「はいこれ」
マユナの手には10数枚の封筒が握られていた。
バスケ部部員たちから集めた部費である。
「わざわざ持ってきたのかよ。こんなところまで」
「先生が『金はちゃんと手渡しでくれ』って言ったんでしょ!部活終わったら音もなく一瞬にして体育館から消えるからどうせここだと思いましたよ!」
「あー。今日だったか集金。メンゴメンゴ」
悪びれる様子もない教師の姿にイライラしつつも人数分の部費を手渡す。
そこそこの額のお金だ。さっさと渡してしまいたかっただけにイライラも大きい。
「これも、以前まではこの半額だったんだよなぁ。弱小だったころは。お前らがウチの部をここまで強くしちまってから多めに集めるようになってさぁ」
「イヤなんですか」
「休みは減ったわな。最初はやっつけであてがわれてた顧問だったのに」
マユナがマネージャーを務める男子バスケ部は、少し前までは弱すぎて逆に有名になるほどの弱小校だった。それがカズキ、カイト、マユナがやる気を出し始めてから急激に力をつけ、校内外からの評価や期待が高まり、それなりの練習時間や環境を与えられるようになってきたのだ。
「男子バスケ部なのになんで女の私がやんなきゃいけないんだって最初は思ったけどよ。まあ大してガチな部活でもなかったし、それなりにこなしてればOKだと思ったのよ」
「イヤだったんですか」
「別に」
グチグチとこぼすわりに、その表情は苦いものではない。
「若者の頑張る姿ってのは悪くないなと」
「先生だってまだ20代でしょ」
「めちゃくちゃだよなぁこの学校。せいぜい5年目そこそこの私をよりによって男子運動部の顧問にするとか」
「………」
マユナは知っている。
この、見かけダラダラした雰囲気を醸し出す女性は、実は優秀だと。
体力も気力も先輩の先生たちに負けない。歳が近いからだろうが生徒たちからの信頼も人気も厚い。
実はくすぶっていた運動部の再燃を企てた教頭あたりが、あえてあてがったのではないかともっぱらの噂だ。
「とかいって」
やれやれといった調子で話すミレイに、マユナは突っかかる。
「私たちがこの部を変えたいっていう雰囲気を誰よりも早く察してくれたのは先生だったような気がしますけど?」
「忘れた」
どうやら自分が頑張った記憶というものを保持しておくことが苦手らしい。
ということにしておこう。
「他の連中は?帰ったか?」
「さあ。まだ残ってるのも何人かいるんじゃ?」
「誰かお前を待っててくれるやつとかいないんかよ」
「どこかの誰かがさっさと部費を受け取ってくれれば私も待たせなくて済んだんですけどね」
「メンゴメンゴ〜」
ぶん殴ったら停学とかになんのかなぁ、などと考えていたマユナに、ミレイは質問を投げかけてくる。
「お前、見てくれだけは良いからさ。待っててくれる部員いるんじゃねぇの?」
「『だけ』とは失礼な。みんなの前では私は大人しくて可憐な美少女でしょ!」
「それを言っちゃう時点で大人しくも可憐でもねぇよ!猫被りやがって。お前の『素』を知ってる人間なんて10人程度しかいないって私は思ってるんだが」
「まあ、家族以外だとそんなもんですかね」
マユナの毒舌は誰に対しても発せられるわけではない。本当の自分を知っている数少ない人間に対してだけだ。
それこそ、自分の家族と同レベルで信頼している相手でなければ『素』は見せない。
一部例外はいるが。
「ウチの部だと。カズキとカイトだろ」
「はあ。まあ」
「あいつらは待っててくれてんじゃねぇの?」
「さあね」
大して興味なさそうに、なんら慌てた様子もなく返すマユナ。
待っているかもしれないし、待ってないかもしれない。
待ってなければそれは別に構わない。
待っているとしたらなるべく早く戻ってあげた方が良いのかもしれない。
しかし。
たとえ待っていたとしても。
どれだけ遅くなってあの2人の元に戻ったとしても、あの2人なら許してくれるという絶対的な信頼があるから。
「つーかお前らさ」
思いついたように言うミレイ。
「好きだったりとかしないの?」
「…………」
めんどくさ。
そう思ったマユナだが、1人寂しくタバコを吸っていた女性の暇つぶしに、少しだけ付き合ってあげることにした。
つづく