天才①
エリアというイタリアで生まれた少女は、大体のことはなんでもできた。
俗に言う『天才』というやつか。
ある日、たまたま日本の文化を教えてやろうという話になって、キネとウスをサクッと自作して餅つきをした。
エリアの前で餅をついて食わせてやろうと思った。
それだけだ。
その時エリアと一緒にいたエリアの母が餅を返す役をしていた。
「ボクもやる!」
エリアがそう言った時、初めは母の代わりをやりたいと言ったのだと思った。
だが違った。
餅つきの花形はやはりつく役だ。小さい子供がやりたいのはこっちだろう。
しかし、実際のところは難しい。
何しろキネは重い。デカい。
周囲の木工業者を当たって手に入れた廃材を使って即席で作ったキネ。自分以外が使うことなど考えてなかったから、作り自体は甘い。
柄なんか角材を手作業で削り出したもんだから、やたら太いし。
思えば、エリアでも振れるサイズのものを作っておくべきだったと思ったが、今更だった。
2人で持とうと提案した。エリアがキネを振る横に付いて一緒に振おうと。
でも嫌だと言われた。1人でやりたいと。
さすがに無理だろうと思って制しようと思ったが、エリアの母がやらせてやってくれと言ってきたので、そのようにした。
エリアは言い出したら聞かないというのは、俺も聞いていたから。
それでもやはり小学生の女の子が振れる重さではない。振り上げた後にバランスを崩そうものなら大怪我の可能性も十分ある。
最悪、自分の母の脳天を叩き割る可能性すら。
何があってもカバーできるように身構えた。
日本に来てここまで危機感を得たことはないだろうというくらいの緊張だった。
おそらくエリアの母は、俺がいれば大事には至らないと思って自分の子供に無茶をさせているのだろうが、こっちの身にもなってほしい。
「いくよー!」
ああ、始まっちまった。
マジで始まっちまった。
振り上がったキネの先。その行方はどこかを瞬き厳禁で注視。
戦場にいた頃に戻ったような臨戦態勢。
かくして、振り上げられたそのキネは、
正確にウスの中にある餅を叩いた。
おお…、まぐれか。
とりあえず1回目の危機は去った。
すぐに第2第3の恐怖の時間はやってくる。
しかし。
幾度も込み上げてくる危機感は、杞憂だった。
何度も、何度も。
狙いを狂わせることなく、キネは正確に餅を叩く。
10回くらいついたところで「もうむりー!」と言ってギブアップするまで、一度もからぶることなく餅をつき続けた。
まぐれなわけがない。
そもそも1回つける時点でおかしい。
同年代の普通の女の子ならまず無理だ。体を鍛えているとかなら分かるが、それでも10回はありえない。
エリアは特にそういうこともしてなさそうに見える。
どこにでもいる華奢な体つきの普通の小学生の女の子だ。
体の使い方が上手い。
そうエリア母は言っていた。
イヤイヤイヤ。そういう次元じゃないですけど?
その言い分なら、まだ見た目華奢だけど実は筋肉モリモリだって言われた方が納得できる。
まあ確かに。
いくらキネが重いと言ってもエリアの体重よりは軽い。
エリアが自分の体で作ったエネルギーを最大限に効率良く扱えばキネを振り上げることは可能。あとは自重を利用して振り下ろせばいい。
理屈上は可能か…。
イヤイヤイヤ。そういう次元じゃないですけど?
振り上げればいいとか、振り下ろせばいいとか。言うは易いが実際にやろうとするのは絶対に難しい。
そもそも筋力が無いのだ。
キネを振りかぶってから振り下ろすまでの切り返しはどうする?キネに振り回されずに体幹を固定するにはどうする?ウスの中心を捉えるための、キネを振り下ろす位置の微調整はどうする?
それを『体の使い方が上手い』という一言で済ませられるわけがない。…と思う。
恐ろしいのはそれだけじゃない。
俺は男で大人で、体を鍛えまくってる。
そもそもエリアとは体の作りが違うのだ。
ただ単に俺の『マネ』をするだけでは餅はつけない。
だが実際に、エリアはその小さく、華奢な体で餅をついた。
俺が餅をついているところを数分見ただけで、同じようなことができるようになっているのだ。
体の作りが違うのに。
ただ単に『マネる』だけでは不可能だ。
『マネた』のではない。
俺が餅をついているのを見ただけで、自分がつく場合はどういう体の使い方をすればいいかを考え、実行したのだ。
………人間じゃない。
当時はそう思ったもんだ。
『天才』だと。
でも今は違う。
エリアは、『天才』などではなかった。
続く